201037日(日)付http://www.asahi.com/paper/column.html

本日內容過於傷感。不翻譯。

 子どもを連れた母親が危険に直面したときにとる姿勢は、日本と米国で異なるらしい。日本のお母さんはたいてい、わが子を抱きしめてうずくまる防御姿勢をとるのだという▼

これに対し、アメリカの母親は、まず子どもを後ろにはねのけ、敵に直面して、両手を広げ仁王立ちになるそうだ。歴史学者だった会田雄次の著作を引いた『ことばの四季報』(稲垣吉彦)から孫引きさせてもらった。民族、文化的背景の考察はおいて、どちらの姿も、本能ともいえる親の愛の表れに違いはあるまい▼

危険からわが子を守るどころか、自らが鬼畜となって子を死なせる虐待が、この国で後を絶たない。「死なせる」と書いたが、実情を聞けば「殺す」にも等しい。奈良の智樹くんは、食べさせてもらえず、5歳なのに体重は6キロしかなかった▼

4歳で死亡した埼玉の力人くんは、「お水をください」と哀願する声を近所の人が聞いていた。肉体の苦痛はむろん、恐怖と絶望はいかばかりだったか。短い命が不憫(ふびん)でならない▼

俳優の加藤剛さんの随筆を読んでいたら、幼いわが子を肩車する場面があった。父の額をしっかり押さえる小さな手を「若木の枝で編んだ桂冠(けいかん)」にたとえている。栄誉の冠を戴(いただ)いて、父親たる加藤さんは「凱旋(がいせん)将軍のごとく」歩を進めるのである▼

愛された記憶が、愛するという資質を耕す。親から子への豊かな申し送りがいま、揺らいでいるようにも思われる。虐待という危機には、地域と社会が両手を広げて仁王立ちになりたい。命が奪われてからでは総(すべ)てが遅い。

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