先來張春天的木棉花。中間那一點是鳥屁股。

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201038日(月)付

 四季折の詩を残したが、山村暮鳥といえば「春の詩人」だろう。のどかな牧歌を思わせるその詩群に「郊外小景」という一編がある。遠くに見える山なみは雪で白い。だが、よく見ると、山かげから一すじの煙が立っている

▼提到描寫四季荏苒,就不可不提到”春之詩人”-山村暮鳥。其詩集作品”郊外小景”也不禁令人聯想到春光爛漫的牧歌。遠山因暟皚白雪而白頭,然而凝神再看,只見山腳下傳出一縷輕煙。

〈おや、あんなところにも/自分達(たち)とおなじような/人間がすんでいるのだろうか/それなら/あの煙のしたには/鶏もないているだろう/子どももあそんでいるだろう……〉。煙の立つところ、人の営みがある。いまは「何軒」と呼ぶ家の数を、昔は「何煙」と数えたこともあったと、民俗学の柳田国男が書いている

▼<啊,在那種地方 /也有像我一的/人在那兒啊/那道輕煙下/應該是沒有雞隻在那兒/孩子們應該在哪兒遊玩吧…>。人煙 人煙,有煙的人地方就有人。現在我們稱說”幾戶”人家,據民俗學專家柳田國男指出:以往也曾以幾煙來計算幾戶人家。

くべる」という言葉が死語になりつつあると先ごろ書いたら、多くの便りを頂戴(ちょうだい)した。かつて火を焚(た)くことは身近だった。深い郷愁を年配の方はお持ちのようだ

▼就像”燒柴”這個詞雖然現代人已經不用了,但一但使用即便傳達許多訊息。就像燒柴在父母輩的年代是如此切身的事物。

勤めから帰った遅い風呂は、いつも母親が薪をくべてくれたと懐かしむ人もいた。松飾りを庭でくべて「小さな小さなどんど焼き」を毎年します、という文面もあった。ガスの青い炎にはないぬくもりを、くべるという行為は包んでいるらしい

有些人常在文章裡寫著:懷念著以前當他工作回家晚了時母親幫他燒的熱水;或是每年在院子裡燒著小把小把的門松。這些無法顯現在瓦斯藍色火焰中的餘溫包含也往昔燒柴的情感。

蕪村の〈春雨や人住みて煙壁を洩(も)る〉を思い出す。つましい山家で柴(しば)をくべている。壁のすき間から煙がもれ、芽吹きの細い雨にたゆたう様は、暮鳥の詩とどこか響きあう。一幅の絵を見るような名品である

▼蕪村有首詩:<春雨や人住みて煙壁を洩(も)る>樸實的山民燒柴,而煙從從壁隙間滲出。飄著綿綿細雨的樣子,正好呼應了暮鳥的詩詞。

「くべる」への郷愁を懐古趣味と笑うなかれ。人が生きるための技術でもある。便りには、マッチを擦ったことのない若者がいて驚いたというのもあった。何かの折に困りはしないだろうか。老婆心がふと頭をよぎる

一面笑看「燒柴」一詞所代表的鄉愁和懷古趣味,一面思考人們為了生活而發展而來的技術。在無法一擦火柴就可生火的那個年代,似乎不會為任何挫折而感到困惑。老媽媽的碎碎念不斷湧上腦海。

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