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2010310日(水)付

 14年前の朝日小学生新聞に、1年生の短い詩がある。〈ようちえん/にゅうえんしきで/ぼくがなき/そつえんしきで/ママがなく〉秋元健太。短歌にも足らない30字で、自身の成長と親の愛を余すところがない▼

14年前的朝日小學生新聞裡有一篇小學一生級的孩子所寫的短詩。<幼稚園時,開學典禮,我哭了。畢業典禮時,我媽媽哭了。>秋元健太。短短不到30字無遺透露出自己的成長歷和父母親的愛。

卒園式で父母を泣かせてきたのが「思い出のアルバム」だ。〈いつのことだか/おもいだしてごらん……〉。顔中を口にして歌う子に苦労を重ね、母親や先生方の涙腺は緩む。NHK「みんなのうた」で全国に広まった80年代には、9割の卒園式で歌われたという▼

畢業典禮時令父母親催淚的是「回憶的相本」這首歌。<請各位猜猜看,這是什麼時候的事情呢?....>  唱歌的孩子身負重任,讓母親們及畢業生們頻頻拭淚。這是80年代NHK 的節目<我們的歌>在全國流行的時候,有9成的幼稚園畢業典禮就是唱這首歌。

東京都調布市の常楽院に歌碑がある。元住職で、幼稚園を開いていた本多鉄麿が作曲した縁だ。作詞は、墨田区で保育園長をしていた増子とし。こちらはクリスチャンだった▼

位於東京都調布市的常樂院中有座歌碑。由一位原來是寺廟的住持後來開了家幼稚園的本多鐵麿所作曲。作詞的是位於墨田區的幼稚園園長-增子女士,而她是基督徒。

珠玉の合作が生まれたのは1957年。おそらくは保育研究会の場で「異教」が出会い、立場を超えて子どもの門出を祝いたいとの思いが結実した。四季の回想を連ねた詞は冬だけ二つある。お寺や神社系の園のため、クリスマスに触れないものを用意したと聞く▼

此次絕妙的合作起源於1957年。大概是因幼教研討會的機緣,這兩個不同宗教的相遇,超脫了宗教的立場而成就了共同為將畢業的孩子們的祝福。???。因為是本土教派,通常是不會準備這些和聖誕節有關係的物品。

半世紀前の歌づくりには、次代を担う子どもへの愛情がにじむ。いわば玄人の愛である。片や、親は育児の素人から危なげに出発し、わが子については誰よりも通じたプロになっていく。卒園式や卒業式は両親の成長の節目でもあろう▼半世紀前的作詞作曲往往充滿了教育家對下一代孩子們滿滿的愛情。也就是內行人的愛。從什麼都不懂的危險媽媽為了照顧自己的孩子變成專家。無論是入學典禮或是畢業典禮也可以說是爸爸媽媽們的典禮吧。

泣き笑いを重ねて迎える親子のひと区切り、そして新たな旅立ち。薄桃色の日ざしの中で、それぞれの心のアルバムに育ちの跡が刻まれる。泣いてよし笑ってよしの集いによって、この国の春はほどよく厳かな、晴れの季節になる。在又哭又笑中邁向親子間人生另一個階段,在澄色的暮光中刻畫出每佪人的心中大碟。在又哭又笑中,再度邁向另一個更加嚴苛而已晴朗的春天。

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