2010年5月5日(水)付
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 井上靖が5月の曖昧(あいまい)さを随筆に書いている。
〈春の百花を咲き誇った饗宴(きょうえん)は終(おわ)ろうとし、夏の烈(はげ)しい光線はまだ訪れて来ません……
私は、春でも夏でもない、どっちつかずのこの短い季節が好きです〉。大作家の感性は、
中ぶらりんを中庸の妙と受け止めた▼
井上靖先生曾經寫過一篇關5月乍暖還涼的隨筆
<春天百花盛開的饗宴開似告一段落,但是夏日灼人的陽光卻又未來到...我最中意的也正是這種又不是春天也不是夏天不乾不脆的微妙時節>
大文豪的感性接受了不上不下的中庸之妙。

どっちつかずの短い季節――。今の鳩山首相には痛い言葉だろう。
春でも夏でもないこの時期に、普天間問題の期限を切ったのはご自身である。あと4週。迷走の果てが失望では、
政治責任という「烈しい光線」にさらされる▼
不屬於任何一方的短期季節。這也是最令鳩山首相最苦惱的字詞。
說要把普天間遷址一事就在不屬於任何一方的春夏之交劃上句點的也是他自己。
再過4週也就要把這「迷途探路」的結果-也就是失望,暴曬在叫做「政治責任」的熾熱光線下。

最低でも県外のはずが、遅すぎる訪問で「最低」にも及びませんとわびた首相。県内移設に反対する9万人集会の後である。
次は「県外」を頼む徳之島の首長に会うという。こちらも島を挙げての抗議の後だ▼
雖說該差勁的也是縣外..(??)
但是首相遲來的訪問似乎比差勁還要再更惡劣,在反對移置縣內9萬人集會後再到。
再會另一個要想脫縣自治的德島首長,也是在舉島抗議之後的事情。


後手ばかりで、成算があるとは思えない。どう動いても、手は尽くしたという言い訳が透ける。
そもそも沖縄で安保を説く前に、この島の重荷を米国に説くのが先ではないか。その上で、
駐留米軍の見直しについて話し合うべきではないのか▼
一直放馬後砲是不能成事。怎麼看都只看到托託已經想不到辦法的托託之詞。
要在沖縄前這些安保條例之前,應該要向美國說明該島的重要性才是吧。
而且 也該應該要和該地的駐守美軍再見面才是吧。

こんな時に本音を言い合うための「同盟」であろう。能天気な八方美人は、八方ふさがりや八方破れにつながる。
曖昧に味があるのは四季の移ろいであって、外交のどっちつかずは危険この上ない▼
在這個時互訴情衷的同盟。就像能天氣的八方美人,??????
在倍能体會曖昧氣氛的時節,外交也是處不上不下的危樓上。

こどもの日は母に感謝する日でもある。当然、首相も思いを新たにしよう。命がけと言うなら、
沖縄と徳之島の子どもたちのためにかけてほしい。ゆめゆめ米国の代理人として、あてもなく南の島を訪ね歩くことなかれ。
それでは子どもの使いである。
55兒童節是應該表達對母親感謝的季節。當然首相也改變想法
要賭命的話,請為了沖縄和德島的孩子們吧,請不要當作自己是美國的代理人,
想說只是到南邊的島 去看看。而應該自命為孩子們的使者。

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