生き物の最期は大きく二つに分けられる。餌になり、いわば死ぬことで生かされるか、食われぬまま衰えていくか。そしてわずかながら、食べられもせず衰えることもなく、人の手で滅ぶ命がある▼

以最簡單的方式來區分生物的終結法的話,分別有處於食物鏈中,作為被吃的一方,因死亡而延續其他的生命或是雖然身為高階掠食著但卻自然而然的滅亡。只有極少數的一部份不是被吃也不是自然而然滅亡而是靠人類之手而倖存下來。

無益な殺生とは限らない。森や田畑を荒らす「害獣」も、捕らえた多くは燃やすか、埋めるかしているそうだ。これを食肉として利用する動きが、国や自治体の音頭で広まっているという記事を読んだ。野の命を生かす試みである▼

不只是無助益的殺生。甚至連會傷害森林或日地的「害獸」,一但被抓到多半是燒死或是埋掉。這不是為了作為食物而進行的獵捕動作,可以在各小國或自治體系中常借於名謠中獲得證實。這是為了要延續大自然的生命體。

動物による農作物の被害は、全国で年に200億円。人が育てたようなものだから、シカやイノシシを食べる権利は大いにあろう。いのしし課を置き、専門の処理施設を設けた佐賀県武雄市では、「とっしんカレー」などの加工品が好評と聞く▼

全國每年因動物造成的農作物損害約達200億圓。因為這是人力所栽培出來的所以我們有食用這些危害農作的野豬或鹿等動物的權力吧。在佐賀縣武雄市也設置「野豬專門處理課」,該單位所生產的野豬咖哩也廣受好評

「ジビエほどフランス人の食欲を強く刺激するものはない……数多くのクラシックな食材のなかでも本命中の本命である」(宇田川悟『フランス料理は進化する』文春新書)。狩猟の民の末孫たちは、ジビエ(野生の鳥獣)が出回る秋を待ちこがれ、野趣あふれる煮込みに舌鼓を打つ▼

「野味並不是會強烈刺激法國人的味蕾…而是在為數眾多的經典法式料理中,可說是精髓中的精髓。」(出之文春新書的宇田川悟之「法式斗理的進化」),身為狩獵民族的子孫,靜待鳥獸出沒的晚秋,因野趣風味橫生的佳餚而食指大動。

獣肉が長らくタブー視された日本でも、養生になることはよく知られ、薬食いと称して食べていた。江戸川柳に〈雪の日の七輪に咲く冬牡丹(ぼたん)〉がある。イノシシは牡丹、シカは紅葉。先人の粋な言い換えは、和製ジビエの旨(うま)さの証しかもしれない▼

而在長時間將食肉視為禁忌日本,因深知養生哲理,因此視之為藥饍。江石川柳著寫下「降雪之日七輪綻放 冬之牡丹」一文。野豬即為牡丹,鹿為紅葉。古人的言詞代換也可說是一種對樂愛野味美味的佐證也說不一定。

動物だって、ゴミではなくごちそうとして昇天したかろう。クジラにマグロと、海では押され気味の食文化である。自然への礼を尽くすためにも、山の恵みを無駄なく味わいたい。

動物並不是垃圾,而是借於人之手烹調而昇天。鯨魚乃至海豚也是充滿海味的食文化。為了感謝大自然的感惠,希望不要浪費一絲一豪都不要浪費山的恩惠。

這篇的中心思想在哪裡?叫人家好好吃不要浪費是嗎???還是我自己日文太爛看不出來它的精髓?

是不是有強者可以告訴我???

 

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