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2010410日(土)付

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 東京の調布市に仙川(せんがわ)という私鉄駅があって、2本の古い桜が枝を伸ばしている。10年前に駅前整備で切られかかったが、住民の熱意で生き残った。先週久しぶりに訪ねると、春冷えの中に花を咲かせていた▼

位於東京調布市有座名為仙川的私人車站。在那兒正有兩株的櫻花樹正在伸展枝椏。據聞10年前因為車站週邊整備的關係被砍倒過,但因為當地居民的熱情而有幸留殘下來。許久不曾造訪,終於再次在上週前往。我看見春寒料峭中,花兒正在綻發。

伐採には約1万4千人の反対署名が寄せられた。住民と市の討論会の様子を、当時の小欄が書いている。最後に市長が決断した。マイクを握り、「老木だから10年ともたないかも知れないが、枯れていくのを見届けるのも、また人生です」。そう言う市長も目を潤ませていた▼

當時曾有約1萬4千多人連署上書反對砍料這兩棵樹。當時居民和市府討論會的樣子也曾一度登上副刊的版面。到最後,由市長下了決斷。握著mic的市長,紅著眼框對市民宣布「就因為是老樹,也不知道撐不撐得過後十年。似乎歲盡榮枯,已到了人生盡頭。」

幸せな桜もあれば、幸薄い桜もある。国体の会場整備のために切られて、あわれな切り株をさらす桜の話が、先日の小紙岐阜県版にあった。不運な桜は、ほかにも全国に数多(あまた)あることだろう▼

有福份的櫻花,相對也有福薄的櫻花。前陣子岐阜版的副刊上登出了樓十株因國體會場整備而砍除的櫻花樹。同時在全國各地仍有為數眾多的福薄的櫻花樹。

花の盛りは愛(め)でてやまないのに邪魔になれば切ってしまう。京都の桜守で知られる佐野藤右衛門(とうえもん)さんが前に言っていた。「どうしても切るというなら満開のとき切ったらええ。満開のときに切る度胸があるか、と聞いてみたい」。きびしい口調が記憶に残っている▼

喜愛花朵盛開但又因為太礙事而砍掉。在我的記憶中,還記得以身為京都櫻花守門員而聞名的佐野藤右衛門先生曾以相當嚴厲的口吻批評過「如果硬要砍掉的話何不在花滿開的時候來砍?我還真想問問看誰有這麼大的Guts敢在滿開時候砍樹呢」

大正の末、岡本かの子は「桜」と題する139首を一挙に発表して評判になった。冒頭にこの一首を置いた。〈桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり〉。藤右衛門さんの言葉と遠いところで響きあう▼

大正末年,岡本和野子小姐曾以「櫻」為題一舉發表139首和歌引起社會大眾觀注。開頭第一首即為:「元無落英,一舉綻發,燃燒生命,吾從遠望」(爛透了)。我仿佛聽到藤右衛門的聲音又從遠方傳來了。

冒頭の仙川は、かつてわが最寄りの駅だった。生き残ったのを機に夜桜コンサートが始まり、この春で10回を迎えた。満開の下で毎年写真を撮る一家もいる。幸せな木は人も幸せにするようだ。何も桜に限ったことではない

回到開始的仙川站。曾經那是離我家最近的站。而以「劫後餘生」為契機,始創「夜櫻演唱會」。今年已是第十年。也有每年都會拍下櫻花滿開一瞬間的攝影公司。仿佛有福之樹會帶給人們幸福,何止櫻花樹一款?

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