30年以上前のことだが、通っていた中学校に米国から日本人の女生徒が転校してきた。英語はもちろん完璧(かんぺき)で、2カ国語を滑らかに話すバイリンガルに会ったのは、初めてだった。
  
這是距今有三十年以上的事了。在我所就讀的中學裡,有一位從美國回來的日僑轉學生。英語當然說得十分完美。而那是我第一次碰到真正的雙語人才。
 「これが本場の英語か」と驚いた。ところが、休み時間になると、その子が1人の同級生に「○○ちゃん、久しぶりね」と話しかけている。2人は数年前、米東部の日本語補習校で同窓だったという。
  
我不禁驚呼,這才是道地的英語啊。然而到了休息時間,她對另一個同年級的孩子說「小o好久不見啊」。原來他們在好幾年前是在美東一所日本語補校的同學啊。
 だが、もう1人の子は米国帰りの経験はおくびにも出さず、英語の時間にはわざとカタカナ発音で読んでいた。同質性を重んじる日本社会では目立ってはいけないという処世術だったのかもしれない。
  
然而另一位雖然也是從美國回來,但是幾乎看不出來。說英文時還特地以日文式的唸法讀出。或許這可以說是在著重同質性的日本社會中,一種不要讓自己過度顯眼的處世之術。
 帰国子女が増えた今は、どうだろう。バイリンガルは、英語と日本語を自由に行き来できると思われがちだ。幼児英語ブームや、小学校から英語を教えるのも、バイリンガルへのあこがれが背景にあるからではないか。だが、そんな単純な話ではないようだ。
 
而在歸國日僑日增的現今又是如何呢?雙語人士,通常容易使人聯想到可以順心地使用英語及日語。前陣子流行的幼兒英語熱潮或是國小教授英語可說是都以這份對「雙語」的迷思為背景。然而真是如此簡單呢。
 英語学習者向けの週刊紙「朝日ウイークリー」(6月25日号)が彼らのホンネを座談会で特集している。自分がどちらの国の人間なのかアイデンティティーに迷う。英語では明るくオープンなのに、日本語では別人格になる。帰国子女は日本の会社では使えない、という先入観にも直面する。悩みは尽きない。
 
一分英語學習者指向的週刊「朝日weekly(625)刊了一份特刊名為他們心裡話的座談會。正式面對「英語是種開朗開明的語言和日本語是完全不同的。歸國日僑是不被日本公司所受用的」這一種偏見,
 しかし、複数の言語と文化に触れた経験から、「たぶんどの国に行っても、その国を理解しようという許容範囲が広いと思う」(英字紙記者)という面もある。外国語の能力よりも、そうした心の柔軟さこそ、彼らから学ぶべき点かもしれない。

   然而也有人認為因為他們具有接觸複數語言和文化的經驗「或許因此無論到哪個國家都能擁有一次理解該國的開放胸襟。」(英文報記者)比起外國語能力,或許他們學到更多的是更柔軟的心。

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