実に厳しいことになった。サッカーのワールドカップで、日本はクロアチアに善戦したが、勝てなかった。仮にブラジルに勝ったとしても、決勝トーナメントに出るには難しい条件がつく。
 
實在是嚴苛。在世足賽日本隊雖與克羅埃西亞奮戰卻未能獲勝,使得即使於對巴西一戰中勝出,也難有晉級的條件
 ブラジルは、第1回大会からすべての大会に出場している唯一の国だ。優勝5回は最多で、最近の3大会は、いずれも決勝に進出した。
 
從第一屆世足會開始巴西是唯一每度參賽的國家。雖獲得的五次優勝也是最多、而最近三屆大會每一次都晉級決賽。
 リオデジャネイロのマラカナン競技場は、世界最大級のスタジアムだ。1950年に行われたブラジル大会当時は、20万人を収容したといわれる。試合のない日もスタジアム見物に来る、世界中からの観光客を相手にした私設ガイドがいた。スタジアムの建設工事に雇われ、そのままスタジアムにいついてしまったという。
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競技場是世界上最大的體育場。1950年舉行巴西大會時曾收納了20萬餘人。而因應這些在沒有比賽日子也來朝聖的世界各地觀光客,就出現了私人導遊。 據說他們受顧於体育館的建設工程,平時就住在體育館附近。
 50年大会で、このスタジアムで、いかにブラジルがウルグアイに敗れたかという大番狂わせを、実況中継風にとうとうと語る。ブラジルにとって勝利はニュースではなく、敗北は何十年も語り継がれるニュースだからだそうだ。
 
50年世足大會時,就在這座體育館裡、實況轉播不斷地播告著巴西會敗給了烏拉圭。對巴西來說勝利早已不是新聞,敗北才是數十年會被人流傳的新聞。
 このサッカー王国は、日本とは地球の反対側同士だが、ブラジル移民には100年近い歴史がある。作家・石川達三は、自ら移民船でブラジルに渡った体験をもとに小説「蒼氓(そうぼう)」を著し、第1回の芥川賞を受けた。
 
這座足球王國*巴西,雖然和日本在地球的兩側,但日本人移民巴西已有一百餘年的歷史。作家、石川達三就曾以自己當年搭乘移民船到巴西的經驗,寫了部獲得芥川賞的小說---「蒼邙」。
 石川が渡航した30年に隣国ウルグアイで開かれたのが、ブラジルも出場したワールドカップの第1回大会だった。歴史的にも、日本とは異なる大きな蓄積がある。しかしブラジル人もまた、同じ人間には違いない。「望みなきに非(あら)ず」。石川のこんな小説の題を思い起こしつつ、いい試合をと念じた。石川移民30年後,巴西第一次參加了在鄰國烏拉圭舉行的世足賽。在歷上和日本不同,巴西已蓄積也相當的能量。然而無論是巴西人、日本人都是同一種人「不要放棄希望」不禁令人想起石川的「蒼邙」,不禁在心中祈禱,來場好比賽啊。
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