新しい壁に、短冊が掛けてある。〈憲法記念日ペンを折られし息子の忌〉。87年の5月3日、ここ兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で銃撃されて死亡した小尻知博記者の母、みよ子さんが詠んだ。
牆上掛著短冊。(這是死於憲法記念日愛兒的忌日) 87年の5月3日位於兵庫縣西宮市朝日新聞阪神分局受到槍擊而死的小尻知博記者的母親如是著。
 建て替えられた阪神支局の新局舎が、この春に完成し、中に「朝日新聞襲撃事件資料室」が設けられた。昨日そこに立って、凶行のすさまじさと卑劣さを、改めて胸に刻んだ。
 
今年春天完工的改建的阪神分局中,即設有「朝日新開襲擊事件資料室」。站在那兒,我深切體驗到凶行的殘暴和卑劣。
 茶色に変色した「犯行声明文」の現物がある。文章のところどころに小さな四角い穴があいている。鑑定するために警察が切り取った跡だ。「すべての朝日社員に□□を言いわたす」の二文字は「死刑」だった。
 有一份已褪色成茶色的「犯行聲明文」。文章的到處都有一些小小的四角洞。 這是警察們為了鑑定所切割下來的痕跡。
 小尻記者や重傷を負った犬飼兵衛記者が、仕事の後にすきやきを囲んで座っていたソファが、当時のように置かれている。撃たれた小尻記者が頭をうずめた黒いソファには、チョークの白い線が、その時の姿を伝えるようにうっすらと残っている。
當時小尻記者和受了重傷的犬飼兵衛記者正結束工作,圍坐在弄著大阪燒。而他們當時所坐的沙發還和以前一樣擺放在那兒。受到攻擊的小尻記者把頭埋在黑沙發裡,殘留在命案現場的白線顯示了當時的情況。
 暴力で言論を封殺しようというようなやり方に屈することはできない。自由な言論活動は、メディアのためというより、まっとうな社会を築くために不可欠なものだ。戦前に、新聞としての任務を果たし得なかった苦い歴史を繰り返さないためにも、である。
 我們對不能屈服於暴力而封鎖的自由。與其自由言論活動是為了媒體,倒不如建立正常社會所不可或缺的一部分。也正是為了不要重蹈戰前新聞所不能完成的任務。 支局の入り口のそばには、以前のようにして一本の桜が立っていた。長い間、支局員たちを見守り、あるいは犯人を見たかも知れない。見上げると、枝先に花が二つ、三つ咲き残っている。青い空を背にして、白い象眼のように浮かんでいた。犯行現場の局舎は消えたが、小尻記者は心の中に生き続ける。 在分局的入口旁仍像往常一樣聳立著一本櫻花樹。一直守護著分局人員,也許它也看過犯人也不一定。抬頭仰望,枝上仍留有兩三花,以藍天為背景,猶如白色的彫花一般。即使犯罪現場的局舍已消失,然而小尻記者的形像仍活著我們的心中。
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